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Yamotty Blog

プロダクトマネージャーの雑記

本気で休むこと

休むことって、働くこと(追い込むこと)に比べてひっっじょーーーーーうに軽視されている気がしてならない僕です。

 

「体壊してなんになるのさ?」という思いが大学の研究室時代からずーっとあります。そして「体はとりあえずおいといて仕事しろ」的な周囲の態度もまたずーっとありますね。どんなコミュニティに属しても「限界労働の強要」は必ずあるのかー、と諦めてしまうくらい。どこいってもつきまとう。

 

「やらねばならないときがある」→わかります。わかります。

でもその大前提をどこにおいていますか?という事。多くの人にとって自分の体以上に大事なものが本当にあるのか、疑問に思います。

ただこの問題、個人では対処しきれないことが多い。「私の限界はここまでだ」と個人が主張したところで他者を動かすことができないんですね。↓みたいな思想が根底にあって、これを動かすのは難しい。

1.自分のものさしで考える。自分ができるんだからお前もできる!志向。

2.みんなやってるんだからお前もやれ、の集団心理。

2'.おまえばかり自由に生きてずるいぞ(2の派生。実に人間的)

3.(本気で)納期は命に優先する的思想(おげぇ)

4.長時間やったほうが成長できる理論。

 

しかしながらぜーんぶ”健康な体があってこそ成り立つ”ということ、前提に目が向いていない場合が多いですよね。本質的には”元気に”生きていないと成り立たないのです。

ーーー

 

視点を変えます。

Twitterにも記したけれど、人間の体は「負荷をかければかけただけ強くなる」ようにはできてません。一切できてません。違います。完全に違います。誤解です。大間違えです。

 

トレーニングをかじったことがある人、フィットネス系の特集を雑誌で読んだことがある人なら「超回復」という言葉をご存知でしょう。トレーニングで筋繊維をあえて傷つけた後、2〜3日ほどの休息によって文字通り筋繊維が超回復し、以前より太くなるという性質です。

 

僕はかつてラグビーやアメフトといった非常にフィジカルなスポーツを嗜んでいました。筋力トレーニングやひどい筋肉痛との共存が必須の世界です。一般からはドMやマゾと間違えられてもおかしくない世界です。友人の兵役上がりの韓国人でもちょっと引くような想像しがたいストイックな世界です。

 

そういった世界で生き抜くために日常的トレーニングが必要です。自身の体重をはるかに超える重りを担いだり引っ張ったり、一体何が楽しいんだろうと思う日もありましたが(なぜか)未だに続けています。トレーニングは”正しく行えば必ず成果が出る”というものすごい中毒性をはらんでおり、ストレス発散として僕にとっては最高なんですね。

 

トレーニングに割く時間は毎回1.5時間程度。この1.5時間にはものすごい集中を要します。なにせ自重を超える重りを扱うため、一歩間違えたら大怪我。集中せざるをえません。

そうして集中した1.5時間で全力で体に負荷をかけても、その後の数十倍の時間、2〜3日という時間を集中して休息できなければ、この超回復はおこりません。筋肉は傷ついたまま、ゆっくりと回復し従来を超える太さになることはありえません。

 

僕はこの人体の性質は、あらゆる人間活動における本質を同時についていると信じています。活動を行う体にそのような縛り、すなわち「集中した負荷をかけた後には集中した休息を要する」という限界があるのだから、人間はそれ以上のパフォーマンスをデキるわけがないと考えています。もちろん成長しますが、すこしずつ、すこしずつ、です。

勉強や知識の定着においても全く同じ。知識は寝ているときにしか長期記憶として定着しないというデータも出ています。休む時間を削ることは非効率にもつながるんです。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2783221/6720930

 

「負荷をかける」とうのは確かに人を成長させる上で必要不可欠な行為だとは重々承知しています。だけど、それだけじゃないんだよ。体の仕組みからして、そういうふうにはできていない。

 

週5で働いたら、残りは全力で休もう。

週6で練習したら、1日は全力で休もう。

一日10時間働いたら、残りの14時間は全力で休もう。

1.5時間勉強したら、15分は全力で休もう。

「本気で負荷をかけた後に、同じだけの労力を注いで本気で休む」という考えが欠けている。それはもったいない!というお話。

もう少し力入れて休みましょう(なんか変だな...)!

 

へば!