Yamotty Blog

プロダクトマネージャーの雑記

「体育会」的発想の限界

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現代の社会に存在する競争は、スポーツであれビジネスであれアートであれ、既存の競争に入っていこうとすると高度に発達しすぎていてとても参入障壁が高い。それでもそういう世界に挑んでいかざるをえない場合というのは多い。給与をもらうために就職する、とかその典型例だと思う。

 

そして高度な競争に身を晒す場合、勝敗を分けるセンシティビティのなかで大きな要素になるのが戦略だと個人的に思っている。これはスポーツの世界で最も「戦略」に長けた発展をし続けているアメリカンフットボールをどっぷりと経験した背景があっての意見なのだけれど。その話はおいておいて。

 

戦略とは何か。ざっくりいうとリソースの配分の仕方を決めること。最たるは時間の配分か。

 

この戦略という概念はそもそも「限界」を認知しないと産まれないものだと思う。限界を知らない人間には戦略は描けない。なぜなら必要ないから。でもそんな人間はいない。どこかで必ず「できないこと」を持っている。それを克服するために、時間をどれだけ、どのようにつかうか。思考することが戦略と理解する。

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以下の文章を読んでほしい。昨年現役を引退された、走る論客こと為末さんの思考に唸ることが多くなってきた。彼の戦略への認識は一般的な日本人の先を行っている、グローバルスタンダードだと思っている。

http://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20130215-1083068.html

 

このなかで言及されている事で、最も重要なのはいわゆる根性論=モチベーション無限論の否定だ。

 

”勝負どころはもっと頑張れという根性論がスポーツにはいまだに根強くある。戦略というのはすべてに限界があり、それをどう分配すれば最も効果が高まるかというのを考えるところから生まれる。時間にも限界があり、モチベーションにも限界がある。”

 

特に日本の体育会指導者で「モチベーションに限界があること」を認識して指導している人を僕は知らない。というか会社でも見たことがない。なぜなら日本では未だにモチベーションは無限のものであり、有限であるとの理解がないため、コマのモチベーションを動かす戦略文化が圧倒的に遅れているからだと推察している。

 

この状況は体育会や会社だけでない、日本のあらゆる場所で頻繁に発見される。日本の根底にあるのはモチベーション無限論だと言い切っていいほどに。

 

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だからこそ目上にNoを言わない体育会系が就活現場で気に入られるのではないだろうか。企業は彼らに「永遠に続くモチベーション」を期待しているように思えてならない。どんな苦境でもYesといえる。その状況を楽しめる。いつでもモチベーションに転化できる。そんなサイボーグとして期待されているように思えてならない。実は体育会系のモチベーションは単に好きな事に向いているだけ、ということもたくさんあるのに。

 

日本における体育会系、という言葉はインセンティブを無視したモチベーション無限論を象徴した言葉だと思う。

 

いまや右肩上がりの成長をできる社会ではなく、モチベーション無限論には限界を感じてならない。

 

人それぞれのインセンティブは違うし、人をモチベートするにはそれぞれのインセンティブに働きかけなくてはいけない。と、認識できる日本になってほしい。

 

(写真は一切関係がありません)

 

Yesマンになれない体育会系より。