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Yamotty Blog

プロダクトマネージャーの雑記

漁師が妻とシエスタして踊る話

 

幸福を追うキャリア

プロフェッショナルファームでグローバルエリートと呼ばれるようなトップ層のキャリアを歩んだとしても、それが自分の人生を豊かにするとは限らない。

人生の最大目標は経済力を最大化することじゃない。

幸福度を最大化することだ。

 

幸福度とは1度の経験で変わるものじゃない。日々積み上げるものだ。

毎日を自分が好きな事に没頭しながら生きていく。

大事なもののために働いて喜びを得る。

そうやって小さくとも感じる事ができるものだ。

 

トップキャリアを積みながら、そういった幸福を積んでいる人ももしかしたらいるのかもしれない。

けれど、僕が知るかぎり、エリートたちはある時を境にキャリアを転換している。すなわち、トップキャリアの階段を下りて、自分の好きなことに没頭する時間を作ろうとする。そういうサンプルが多いように感じる。

この現象を見事に風刺した文章がある。何度呼んでも秀逸だ。下記を参照いただきたい。

 

メキシコの田舎町に訪れたアメリカ人旅行者が活きのいい魚を上げてる漁師に出会った。 
旅行者は「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と漁師に尋ねた。 
漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。 
旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。仕事にあまった時間はいったい何をするの」 
と聞くと、漁師は、 
「日が高くなるまでゆっくり寝たり、子どもと遊んだり、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、 
ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」 
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。 
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。 いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。 お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。 その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。 その後、自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。 そしてロサンゼルス、ニューヨークへと進出し、君はマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」 
漁師は尋ねた。 
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」 
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」 
「それからどうなるの」 
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 
と旅行者はにんまりと笑い、 
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」 
「それで?」 
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」 

 

これは風刺だ。風刺とは極論で問題をあぶり出す。あくまで極論。

 

だけど、

 

経済力は手段であって、幸せとイコールはしない。

経済力を求めることが遠回りとなることもある。

自らが幸福と感じる道には、素直に、まっすぐに向かう。

そして、それで十分。

 

そういう教訓を僕は感じる。

 

右肩成長の日本経済を経験してきた僕らの親世代にとって、「金を追い求める」ことが「自らの裕福度を高め、幸福につながる」というのがある種信仰にもなっている。

経済力を求めていくのが幸福度を高めていくキャリアとうまく相関した、いい時代だったんじゃないだろうか。

 

今は違う、と言いたい。