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Yamotty Blog

プロダクトマネージャーの雑記

地元の文化に不感ぎみな話

http://sura-taro.hatenablog.com/entry/2016/01/02/191332

これを読んで、自分なりの意見を深めてみた。

僕自身が青森の弘前という片田舎で18年間育った後、仙台→東京と移り住んで今に至る。

地元のことは今でも好きだ。しかし居心地がよいかと言われると「うーん」と思ってしまう。

上の記事と違い、実家と故郷の街にPCはあるしwifiが繋がるカフェも幾つかある。 両親や親族の話もそれなりにupdateがあり、話題の輪に入れないほどじゃない。 ご飯は美味しいし、外食へ出かける先もある。

それでも、正直なところ漠然とした「居心地の悪さ」を感じることはある。そして、東京の家に帰ってくるとホッとする。自分は青森の人間じゃないんだっけと思うことがある。この「複雑な違和感」はなんなんだろうとよく思っていた(記事を読んで同意した)。そしてこの違和感は年々ぞわぞわと強くなる。

この違和感の正体はなんなんだろうと考えてみる。個人的に行き着いたのは、僕の地元には「もう文化が息づいていないように感じられる」からだ。

文化とはそこに住む人たちの、生活が折重なり産まれる濃い生活習慣だと思っている。僕が文化を感じる時、そこには見事な効率と、心地よい非効率の両立を発見する。

たとえば地元の祭りという文化を見るとき、祭りの準備を通じて「町民の組織化」というミッションを圧倒的な効率で進めること、その目的を覆い隠すほどに膨大な「盲目的な手作業ルーティン」タスクが両立しているように感じられる。(たとえがわかりづらいな。。。)

こういった文化を、年間数日の滞在で何一つ感じることができなくなっている。

僕が地元を離れる時間が長くなるとともに不感になっているのかもしれないし、地元から文化が消え去ったのかもしれない。おそらくはその両方が同時に進んでいる。

僕は文化を作る構成員じゃないから当事者のように息づかいを感じることができないし、また年々理解可能な文化が減りつつあるんだろう。

逆によっぽど住んでいる時間の短い東京のエリアに、濃く面白い文化を感じることの方が多い。

冒頭の記事を読んで、僕のような感想を持つ上京組は結構多いんじゃないかと思った。そしてそれは残念なことだ。

だから今すぐ何をするでもないが、文化に魅力のない街に忙しい自分が脚を運ぶことが今後起きうるだろうか? 僕すら脚を運ばなくなったら、僕の地元はどうなってしまうのか。

好きなはずの街をより好きになる手段が、なかなか見つからない。