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Yamotty Blog

プロダクトマネージャーの雑記

プロダクトマネジメント最大の誤解

プロダクト プロダクト-プロダクトマネージャー

昨今のITスタートアップブームの起爆点はもちろんシリコンバレーだ。シリコンバレーは軍事開発からハイテク産業という歴史を経て ”development” のエコシステムを培ってきた。その歴史は @chibicode が あなたが知らないシリコンバレーの歴史 | 上杉周作 でまとめを書いてくれている。面白いのでぜひ一読をおすすめする。

さてこのシリコンバレーでも汎用的に用いられてきたメソッドがある。それはサラリーマンを辞めた次の日から起業し、5年後の生存確率を高め、持っている株券を$100Mに変換するため、製品を作って成功するための”プロダクトマネジメント”手法だ。

エリック・リースの『リーン・スタートアップ』で描かれるMVP、そしてスティーブン・G・ブランク『アントレプレナーの教科書』に描かれる顧客開発は、中でも代表的なメソッドに当たる。これまでに、一体どれだけの人がリーン・スタートアップを読み、フィードバックループが回しやすい最小単位のプロダクトを持って投資家やユーザーへピッチを繰り返してきたことか。そう思わせるほどにシーンでは汎用的な考え方となっている。

日本に”逆輸入”されたリーン・スタートアップ

また、この『リーン・スタートアップ』はUSが好きで好きでたまらない日本という島国にも輸入され、必勝法として崇められてきた。

「シリコンバレーでみんなが使っているメソッドだ」
「大企業的ではありえない、スタートアップというサイズの企業にピッタリの最高のメソッドだ」

そういう評判を得て、多くのプロダクトが生まれ、10%は生き、90%は死んできた。それもそのはずだ。リーン・スタートアップとは「殺すためにプロダクトを生み出すマネジメント」、という側面がある。多くのプロダクトが日本でも殺されてきたのは、それだけこのメソッドが浸透し、愛されてきたからにほかならない。

しかしこれだけ島国の中で愛される『リーン・スタートアップ』について、エリックの著書冒頭にも書かれているにもかかわらず、多くの日本人に見逃されている重要な真実がある。

日本のトヨタ生産方式から始まったリーン生産方式に出会った。物品製造の全く新しい考え方だ。生産方式に出てくる各種の概念をうまく応用すれば、起業に伴うさまざまな問題を解き明かすことができる。
こうして生まれたのが、リーン・スタートアップである。
出展 : リーン・スタートアップ

そう、今や世界中のスタートアップで使われているこの方法論は、日本の三河にルーツを持つTOYOTAによって産み出されたものだ。

さらにもう一つ付け加えるべき事実がある。実はエリックは正しくTOYOTAを正しく理解したわけではなかった。すなわち、リーン・スタートアップは不完全である。

彼が参考にした、カンバン・改善・JustInTimeなどは総称「トヨタ生産方式(Toyota Production System)」と呼ばれている。TPSは「創るものが決まっており、それをどれだけ上手に創るか」というノウハウであるが、TOYOTAの本当の強みはそこではない。TOYOTAの真の強みはToyota Product Development(TPD)と呼ばれる、「何をなぜ創るか」というプロダクトのデザインであり、そのデザインを生み出し続けるノウハウにある。エリックが本当に注目すべきはTPDだった。

リーン生産とは、トヨタ生産方式(TPS:Toyota Production System)のことであり、リーン開発はトヨタ流の製品開発(TPD:Toyota Product Development)における手法や考え方の総称を言っている
(中略)
エリック・リースのリーン・スタートアップにしても、当のエリック・リース自身が、リーン開発をよく理解できていないので、開発と製造をゴチャゴチャにした議論が見られる。そのためリーン・スタートアップを活用する各企業の現場では大いに混乱している。 「リーン」というコンセプトそのものは、開発でも生産でも共通している。すなわち、人(知識も含む)であろうと、材料であろうと、資金であろうと、設備であろうと、投入した経営資源が、必ず経済的な価値を持つ資産性の高い「情報」や「モノ」そして「人の問題解決能力の蓄積」になっていなければならない、という考え方は共通している。
しかし、開発と生産では同じ「リーン」でも、捉え方を変えねばならない。なかでも、リーン開発はリーン生産と異なり、「何を作るか」というアウトプットが最初から与えられているわけではない。またリーン開発のアウトプットは量ではなく、完全に質である。
出展 : トヨタの強さの秘密 日本人の知らない日本最大のグローバル企業 (講談社現代新書)

プロダクトの競争力は製造や運用力ではなく開発段階のアウトプット、すなわちプロダクトデザインで90%が決まると考えている。この主張は多くのプロダクトマネージャーにとって頷けるものではないだろうか。ただし、同時に「良いプロダクトをデザインする」というアウトプットは再現性が取りづらく、困難を極める。プロダクトマネジメント最大の難関は、このデザインの領域にあるとすら思える。

生産現場以前の開発段階で「設計情報」をアウトプットするまでが、グローバル競争の勝者と敗者を決めている
出展 : トヨタの強さの秘密 日本人の知らない日本最大のグローバル企業 (講談社現代新書)

とあるように、それはTOYOTAであっても同じようだ。

最大の誤解

すべての製品開発に携わる人間には共通の思いがある。それは自分の手掛けるプロダクトに大きく成長して欲しいという親にも似た気持ちだ。であるからこそ、本当に結果に繋がるプロダクトをデザインし、マネジメントするための本質とは何なのかを学ぶ必要がある。

しかし、とりわけ日本において、「良いプロダクトをデザインするためにはシリコンバレーに学べ」という前提が感じられる。

かつてTwitter, Facbook Connectなどを渡り歩いたプロダクトマネージャーであるJosh ElmanのMedium記事を翻訳し公開した時、Twitterやはてブなどでポジティブな反響を頂いたが、その反響の裏には「シリコンバレーで成功しているプロダクトのPMが言っているんだから間違いない」という思想が滲んで見える気がしていた。なぜなら記事を読んでもらえば分かる通り、内容としては汎用的ではあるものの、悪い言い方をすれば”薄い”ものだからだ。

blog.yamotty.com

このシリコンバレー礼賛こそが日本でプロダクトを創る我々に最大の誤解をもたらしているように感じる。良いプロダクトをデザインしたいと考えるならば、我々が目を向けるべきはシリコンバレーではなく、ルーツであるTOYOTAそして三河という土地ではないだろうか。TOYOTAはappleと製造業売上世界No.1を争い続けている。ルーツであり最先端なのだから。

”失敗の継承”のルーツ

僕がプロダクトマネジメント本質は何か、と考えるとき、それは”失敗の継承”ではないかと考えている。「プロジェクト」とは異なり、「プロダクト」は目に見え、触ることができるがゆえに、多くのレビューに晒され、失敗を積み上げて具象化する。失敗を継承し、学びの粋をデザインへ落とし込むのがプロダクトマネジメントの腕の見せ所であり、効率的な失敗を仕組み化する必要を日々感じている。失敗の一つ一つがデザインというレイヤに落とし込まれ、プロダクトは洗練されていく。

TOYOTAを輩出した愛知・三河の地には、その失敗の継承というアイデンティティーが培われているように思える。それは偏見かも知れないが、戦国武将・徳川家康に端を発しているように思えてならない。応仁の乱に端を発し100年にわたって続いた戦国時代に終止符を打った英傑・徳川家康と、家康を輩出した戦国時代の三河という土地はどんな場所だったのだろうか。すこしだけ掘り下げてそのルーツを見てみたい。

2大名に挟まれた不遇の地

家康は三河の小勢力である松平家に生まれた。幼名は「竹千代」。当時の三河という土地は東に駿河(静岡)、西に尾張(岐阜)という国に挟まれていた。そして駿河には当時日本最強の戦国大名・今川家が、そして尾張には岐阜統一を目指し台頭しつつあった織田家を居を置き、弱小の松平家はこの2つの勢力の抗争に巻き込まれていく。

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*1

今川家が生み出した大名による法統治

当時戦国最強と目されていたお隣・駿河の今川家。強さの秘訣はなんだったのか。あの桶狭間で信長と対峙した義元は生来”戦の天才”と称されていたが、彼の強さは戦にとどまらず政にも及ぶ。今川家の土台は義元の父である氏親が作り、義元がブラッシュアップした「今川仮名目録」という近代的法統治にある。大名たる今川家が民事にまで介入し、法によって秩序を保つ。これにより民からの信頼を得て大規模な徴兵力を保持していった。

更に『追加21条』においては、室町幕府によって義務付けられていた守護不入を否認して完全に守護大名色を払拭した。*2

とあるとおり、室町幕府をも足蹴にするほどの巨大勢力を編成するその根源はこの「今川仮名目録」だったことが伺える。

今川家の質として送られるはずだった6歳の竹千代は、彼を送り届ける予定だった戸田康光の裏切りにより織田家の人質としてさらわれた。その後2年の時を経て今川家の質とし駿河へ渡ることになり、そこで義元と師弟のような存在として育つ。もちろん今川家が傾倒した法統治による領土経営を学んだはずだが、その義元は信長に桶狭間で敗れることとなる。

信長の編成した軍団は半農ゲリラ集団に過ぎず、今川家と比較するととてもではないが軍隊と呼べるものではなかったらしい。しかしながら莫大な報奨金をインセンティブに与えらており、人の欲求をうまく手繰ることでポテンシャルを開花させ、最強・今川家を破るに至った。

両者と深く付き合いのあった家康は、ルールや仕組みによる統治集団が、人の欲を巧みに使ったゲリラに弱いことを学んだに違いない。義元の失敗から、家康は今川家が目指した「法統治」に加え、更に後述する信長による「自由経済によるインセンティブを活用した富国」のハイブリットを目指した国造りを模索していったのだと思われる。

日本金融の祖?織田信秀

竹千代をさらった時、三河の西・尾張をレペゼンしていたのは織田信秀、信長の父である。彼こそが”槍とコメの百姓一揆”に「カネ」「インセンティブシステム」を持込み、コメの時代にはできなかった「富の蓄積」によって国をグロースハックした人物である。

日本金融の祖はプレイヤーである商人ではなく、戦争とカネの流通や富の蓄積を繋いだ彼かもしれない。そしてその才は信長へと引き継がれ、日本全体へと伝播していく。織田信秀がコンセプトを作り、信長が作り上げた”楽”という経済スローガン。これは規制緩和による自由経済、マーケットを開放したものだ。

これにより”商売の自由”と引き換えに商人からの徴税を可能とし、この財源を元に優秀な武士・武器・兵站を蓄えていった。半農武士が槍で相手を突くだけの一次元の戦から、マーケットでの資源確保競争という二次元の戦をバーチャルに創りだし、そこへライバルの大名たちを巻き込んでいったのである。

浅井・朝倉・上杉・北条、そして最強武家軍団武田といった当時の名家は、ゲームのルールが変わったことに気づかず、対応できず、信長に屈していった。そして信長ロジックを間近で学んだ羽柴(豊富)秀吉、家康がスタイルを変えつつ、経済の手綱を握り信長の次の時代を創った(僕の趣味レベルの知識であり、批評・反論は大いにあるかもしれないがざっくりあっているという点で大目に見てほしい)。

なお、千利休などの豪商と組むことで商人の世を発展させた秀吉とは対照的に、関が原を勝ち抜いた家康は「士農工商」制度で身分を固定し、農民を土地に縛り、農本主義を基軸とする”農民の世の中”に戻していった。これは家康が農民の出身だったということの他に、明確な序列導入により民事、すなわちくだらないいざこざを法で防ぐという意図があったと思う。この思想は、インセンティブシステムを最上とした国造りの結果、我慢できなくなった明智に下克上を受けるという信長の失敗を踏まえての、家康なりの防衛戦だったと感じている。そこには今川的な法統治のエッセンスも詰まっているだろう。

ちなみに徳川家は鎖国のイメージがつきまとうが、実は家康は自由経済推奨派で、金銀という日本の資産を使った交易に力を入れていた。鎖国を始めたのは家康の子孫であり、家康自体はフロンティアを開拓するための交易には熱心だったらしい。

士農工商・農本主義を通じ、下克上を抑えつつ民事介入を容易にし法統治をすすめ、そして交易や米価のコントロールによりマーケットを掌握する。家康が今川家・織田家という巨大大名の失敗を継承し、国・戦・マーケットのマネジメントに長けた存在として君臨できたのは、何より三河という土地の地理的な側面や、時代を作る英傑たちの失敗を継承するというアイデンティティーによるものが大きいのではないだろうか。そしてこれこそがプロダクトマネジメント発祥のルーツだと思いを馳せている。

余談ついでに、僕はセンゴクという仙石秀久を主人公に戦国時代を描いたマンガを愛読しており、そこで描かれる家康が僕の中の”家康像”に最も近い。

センゴク全15巻 完結セット (ヤングマガジンコミックス)

センゴク全15巻 完結セット (ヤングマガジンコミックス)

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これはセンゴク(10) 三方原の戦いで武田軍の猛攻から逃げ帰った家康が自戒するシーン 。家康が居を構えていた浜松城から武田軍におびき寄せられ、圧倒的戦力差の中、命からがら帰城し、その失敗を胸に刻むために「しかみ像」を残したとされている(実在)。この他にも家康の稀有な学習力・貪欲さを描写した名シーンがあり、三河のルーツを感じさせる。

主査によるワントップ・マネジメント

さて、脱線が長くなったが、”失敗の継承”をルーツにもつ三河・TOYOTAは、どんな方法論を築き上げてきたのだろうか。それは「主査制度」と呼ばれるシステムに凝縮されている。彼らのTPDの要である"主査 = プロダクトマネージャー”にタレントを据えたワントップ型の組織で、プロダクトのデザインを行っている。

各文献からTOYOTAの主査制度を読み解くと、プロダクトマネージャーたる主査には次の3つの役割に整理できる

  1. プロダクトビジョン
  2. 全域専門性・コミュニケーション
  3. ビジネスセンス

1,2についてはこれまで僕が書き留めてきた記事の内容とほぼほぼ一致する。

一方で特異なのは3. ビジネスセンスが必須な点だろう。TOYOTAでは主査がプロダクトがデザインする際に、そのプロダクトを通じた利益計画までコミットを求められ、明確にPL責任を負っている。文字通り”製品のCEO”としての役割を担っているのだ。対照的に今のところIT業界ではエンジニアからプロダクトマネージャーへ転身するパスが最も多いが故に、1,2の製品を創るところに権限・責任を持つプロダクトマネージャーは多いが、PLにまで責任をもつという例は今のところ少ないように思える。

TOYOTAにおいては広い権限と責任をセットでもつ主査だからこそ製品開発に失敗した場合に降格によって責任を取ることになるが、主査を経て会長にまで上り詰める人もいる(内山田氏)。プロダクトドリブンの企業文化もあり、主査には会社の未来が託されている。

余談だが、未来といえば、メタップスの佐藤氏は未来を考えるときに3つの要素のバランスを取るとよく話している*3

  1. 人の感情
  2. 経済性
  3. 技術性

主査はこの3つのバランスをとり、未来=プロダクトを世に送り出す存在と言えそうだ。

主査に求められるタレント性

主査に求められるパーソナリティとはどんなものなのか。主査制度を作り上げた長谷川氏が10の項目を言及している。

  • 第一条  主査は、常に広い知識、見識を学べ。
  • 第二条  主査は、自分自身の方策を持て。
  • 第三条  主査は、大きく、かつ良い調査の網を張れ。
  • 第四条  主査は、良い結果を得るためには全知全能を傾注せよ。
  • 第五条  主査は、物事を繰り返すことを面倒がってはならぬ。
  • 第六条  主査は、自分に対して自信(信念)を持つべし。
  • 第七条  主査は、物事の責任を他人のせいにしてはならぬ。
  • 第八条  主査と主査付き(補佐役)は、同一人格であらねばならぬ。
  • 第九条  主査は、要領よく立ちまわってはならない。
  • 第一〇条 主査に必要な資質──①知識、技術力、経験、②判断力、決断力、③度量、④感情的でないこと、冷静であること、⑤活力、ねばり、⑥集中力、⑦統率力、⑧表現力、説得力、⑨柔軟性、⑩無欲という欲。要するに総合能力が必要。それは「人格」。

出展 : トヨタはいかにして「最強の車」(カローラ)をつくったか (週刊ポストBOOKS)

まるでドラッカー本に出てくるような完璧な自責マネージャーを想像させる内容だ。そして数十万人という従業員をプールするTOYOTAであっても、これだけの資質を持つタレントの発掘や育成が最大の論点となっている。

これからの自動車、高度化した自動車の価値を出していくのに適切な人と組織をどうするかということが、トヨタに関しても課題になっている
出展 : トヨタの強さの秘密 日本人の知らない日本最大のグローバル企業 (講談社現代新書)

とりわけ育成の難しさはIT業界のプロダクトマネージャー界隈でもよくよく話にあがる。プロダクトをデザインするという機会自体が非常に限られているため、育成に必要な成長機会=失敗機会自体が少ないというのが難しさの本質であるように思う。それでもIT業界は恵まれている方だ。プロダクトを創るという行為自体のコストが様々なツールの発達により日に日に下がってきていることや、業界自体のオープン性により誰でも機会を創ることは可能な業界だからだ。この業界では年間に生み出されるプロダクトの数はゆうに万を超えるだろう。一方で、年に数十~数百程度のプロダクトしか新たに生み出されない、自動車という重工業製品においては、この「機会の少なさ」というのが致命的なのだろう。

まとめと課題

  • 最も効率的・効果的にプロダクトを生み出し続けてきたTOYOTAの主査制度。それは偉大なタレントに多くを委ねるワントップ型のマネジメント論だが、継続的に素晴らしいプロダクトを生み出していくにあたり、TOYOTAといえどもタレントの発掘と育成という課題にあたっている。
  • 冒頭に、プロダクトマネジメントの本質とは”失敗の継承”ではないかと考察を記した。TOYOTAにおいては一人の人間に失敗の粋を集める組織を築くことで効率化しているが、逆を言うとTOYOTAといえど属人的なプロダクトマネジメントに頼らざるを得ないとも言える。いわんや他の開発現場ならまた然り、である。
  • 「最新事例を知りたければ海外ではなく三河をみるべし」 - これが”最大の誤解”として僕が今回主張したかったことだった。しかしプロダクトマネジメントという競技(あえて競技と記す)が個人種目であるならば、事例を学ぶより、みずから機会を創り、機会によって自身をupdateすることで自分なりのプロダクトマネジメントスタイルを身につける方がよっぽど重要なのかもしれない。リクルート創業者、江副氏の名言でこの記事を締めたいと思う。

自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ - 江副浩正

編集後記

  • この記事は「プロダクトマネジメントは海外産ではなく、実は家康の失敗力をルーツとしている」という一言を書きたいがために書き始められたが、大いなる助長を含めた記事になった。
  • とても難産で、長い文章を論理的に書ける人を本気で尊敬する良い機会になりました。複数の引用を回収しながら主張をテキストにするという試み自体が難しくて、大変脳に汗をかきました。

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